社史・記念誌・周年誌制作 アサック社史のお客様の声VOICE
interview2
株式会社 布引コアコーポレーション様
「当社が思い描いていた通りの『見て、開いて、読んでもらえる記念誌』が完成し、大変満足しています。」
株式会社 布引コアコーポレーション様 相談役 佐伯良平様、代表取締役副社長 三木玄夫様、記念誌編集委員の皆様
- 株式会社 布引コアコーポレーション様
所在地/ 大阪府大阪市 1936年、布引商業株式会社のベアリング部門を独立させた子会社「日本軸承販売株式会社」として神戸市に設立。高品質のベアリング製品を提供する商社として様々な企業と代理店契約を結ぶ傍ら、取扱製品も「電子分野」「シール分野」「ケミカル分野」「環境・設備分野」へと拡大していった。1991年、商号を布引コアコーポレーションに変更。メーカーとの共同開発による新製品の提供なども積極的に行い、商社の概念を超えた“価値創造企業”として、さまざまな市場のウォンツをカタチにしている。
記念誌制作の背景
記念誌制作について知識も経験もゼロからのスタートでした
なぜ記念誌を制作することになったのですか。
会社が80年目を迎える2016年、私自身も80歳になることに気づいたのが発端でした。会社と私、2つの節目が重なる年に、記念の冊子を作ってみてはどうかと考えたのです。私的な発想からのスタートでしたが、当社の歴史をきちんと残すことには意義があるはずだと思い至り、全社的な事業として制作に踏み切りました。
- 仕 様
- A4、 74ページ
- 発 行 年
- 2016年発行
過去に社史や記念誌を制作されましたか。
実は今まで一度も制作したことがありませんでした。私はもちろん社員全員が知識も経験もゼロです。果たして当社に記念誌を作ることができるのだろうかと、不安を抱えながらのスタートでした。
発行にあたっては、どんな記念誌にしたいとお考えでしたか。
それも全くの白紙でした。ただ、数百ページにわたって歴史を延々と綴った文字主体の冊子だと、読まれることなく書棚に飾られてしまうのではないかという危惧はありました。作る以上は社員や取引先様の興味を惹き、見て、開いて、読んでもらえるものにしたかったのです。
委託業者決定の経緯
記念誌作りの全行程にわたってサポートしてもらえることが条件でした
記念誌を作るにあたり、制作会社にはどのような要望をお持ちでしたか。
先ほど申し上げたように、当社には記念誌制作の知識も経験もありません。また具体的な企画や内容についてもノープランです。したがって記念誌作りの全行程にわたってサポートしてくれ、なおかつ企画から提案してもらえることが条件でした。
数ある記念誌制作会社の中で、なぜ弊社にご依頼くださったのでしょうか。
はじめは記念誌の制作を請け負っている新聞社や、広告代理店に頼もうかとも考えました。しかし大手の企業さんだと、こちらが何もわからないため気後れしてしまいます。その結果、相手側のペースで進められ、当社の望んでいたものと異なる記念誌になるのではないか、という不安がありました。その時、当社が取引している銀行さんから、以前、印刷まで対応できる制作会社を紹介され、名刺交換もしていたことを思い出したのです。
それがアサックだったのですね。
はい。記念誌の制作実績もあるようでしたし、企業規模もちょうどよいのではないかと考えたのです。まずはお声がけし、打ち合わせをお願いしました。その時来社した担当者の方が、当社の課題に親身になって耳を傾けてくれたのですね。おかげで我々も、これまで記念誌を作ったことがないこと、またみんなに読んでもらえるような冊子にしたいことなどを気兼ねなく話すことができました。記念誌制作は長期間にわたるプロジェクトです。フィーリングが合わなければ、2年という歳月を一緒に進めていくことは困難でしょう。何度か打ち合わせを重ね、御社となら気持ち良く仕事ができるだろうと確信し、正式に発注することにしました。
アサックの評価
当社が納得できるまで、様々な角度から提案を繰り返してくれました
弊社と仕事をしてみて、良かった点はどこでしょうか
ひとつは我々の疑問点に対し、粘り強く説明してくださったことです。例えばはじめに記念誌全体の骨格となるストーリーを提案していただきました。しかしそれを実際の冊子に落とし込んだ時、どのようなページ構成になるのか、記念誌を作ったことのない我々にはうまく想像することができませんでした。そこで御社は何度も足を運び、我々が納得できるまで、様々な角度から提案を繰り返してくれました。
ストーリーが確定したあとはどのように進んだのでしょうか
ストーリーと大まかなページ構成が決まり、取材やデザインの段階になると、最初は白紙だった我々にも、「ああしたい」「こうしたい」という要望が芽生えてきました。そこで、各ページにどんなことを載せるかは、当社も意見やアイデアを出し、デザイナーやライターの方と一緒に決めていきました。また撮影についても、我々から「こんな風に撮って欲しい」と要望を出しました。今思えばかなり無茶なお願いもしましたが、御社はできませんとは決して言いませんでしたね。実現可能なシチュエーションにアレンジし、撮影してくれました。制作が進むうちに「一緒に社史を作っている」という一体感と充実感が芽生えたのを覚えています。とはいえ御社にしてみれば「ずいぶん振り回された」という感想だったかもしれませんね(笑)
完成した記念誌について
和やかなムードで記念誌作りを進められたことにも大変満足しています
完成した記念誌の感想はいかがですか
最初に思い描いていた通りの「見て、開いて、読んでもらえる記念誌」が完成し、大変満足しています。取引先様にも配布したのですが、営業を通して「最後まで面白く読んだよ」という声も多数いただいたと聞いています。
記念誌を作ってよかったのはどんなことでしょうか
制作の過程で過去の歴史や写真をしっかり洗い出すことができたことですね。今回集めた資料と80周年記念誌があることで、10年後、あるいは20年後に再び記念誌を作ることになっても、もう戸惑うことはないでしょう。大変良い記念誌を作ってくださったことだけでなく、2年という長期間にわたり、和やかなムードで記念誌作りを進められたことについても、大変満足しています。
本日はどうもありがとうございました。
- スタッフより
- 佐伯様、三木様、記念誌編集委員の皆様、お忙しい中インタビューにお答えいただきありがとうございました。御社とは2年という長きにわたり、打ち合わせの機会を数多く持たせていただきました。そのことによって意思疎通が図れ、御社の意図に沿った社史を作れたのではないかと思います。対面でのコミュニケーションが良い社史に結びつく。当社も改めて学ぶことができました。